開いていく学び~第6話「分からないと分けられない」~
今思うのは、身体というか感覚が大事だということ。
僕が好きなレイチェル・カーソンの著書(※1)の中に、「知ることは感じることの半分も重要ではない」という言葉があるんだ。大人になることで知識を増やすことが大事になってきて、知らないことは恥ずかしいと思うこともあるけど、これが自然から得られるものから遠ざけてしまう。おもしろいと感じたことは学びに直結するし、遊んで育った感性は学びを深めるに違いないと思う。
※1『センス・オブ・ワンダー』, 1996
アートだなぁ。
あのさ、遊んでいて、おもしろいことを追究していると、結構すぐ「分からない」に出会うと思うんだけど。
みんなは「分からない」が出てきたらどうする?
もっと簡単な方法がある?とか、どうやって調べようか?とかかな?
僕の場合は「分からない」を積極的に楽しもうとしていると思います。「分からない」ということは頑張れば「分かる」ってことなので、逆に燃えてくる。何かを追い求めるということは、「分からない」を「分かる」に変えていく作業の連続だと思います。
分からないことに対しては、ゲーム感覚で予想をたてて試したくなる感じですね。
みんな、おもしろいねぇ! 「分からない」を楽しんだり、「分かる方法」を調べたり。分かると分からないは繋がっているのかもね。
動くことで少しずつ分かってくる過程、気がついたら見たことない景色に出会う過程、楽しいな。
「実践的な学び」は、SPARC教育プログラム全体で意識していることでもありますね。
これからみんなは大学に進学するかもしれないし、いろいろな道に進むのだと思うけど、簡単に区別したり割り切れないことが世の中には多いから、できるだけ境界を行ったり来たりしてみたら? そのうち、新しい視点や手がかりが見つかるかも。
新しい視点といえば、この前、自衛隊に体験入隊してきました! 特殊車両に乗ったり、野営したり。ご飯美味しかった~。
へえ!
いいなあ、おもしろそう。
境界を往復することで、いろんな人と出会うことが増えると思うんだよね。
そうして、人とつながってしまう、次の分からないにつながってしまう、それらを楽しんでしまう、、、
「分からない」と「おもしろい」を往復する、学びのフェーズフリーですね! 僕もまずは楽しむことから始めようと思います。
そう。「分からない」が無くなることはないよ。「分からない」を受け取り、おもしろいを求めていく過程は「開いている」んだ。
完